新たな土地を買って家を建てる時、行われる儀式が地鎮祭です。
我が家もついこの間、地鎮祭を行いました。
(その時の感想はこちら。)
リンク : 積水ハウスの地鎮祭は何から何まで準備してあるので楽チンだった
しかし、冠婚葬祭全てに言えることですが、近年は簡略化したり、省略したりする人が増えてきました。
文化の衰退とか、景気の悪化に伴う節約志向とか、色々な理由はあると思いますが、正確なところは分かりません。
しかし私も実は、「地鎮祭なんてやらなくても良いのではないか?」と思うタイプの人間でした。
それでも今では、なんだかんだ地鎮祭をやってよかった、という感想を持ちました。
その理由を書いていきます。
元々「地鎮祭なんてやる必要ない」と思っていた
タイトルのとおり、結果として地鎮祭は行ったのですが、元々私は「地鎮祭不要派」の人間でした。
家を建てる土地は地元から遠く離れているため、親や友人・親戚が来れないのも理由の一つです。
新しい分譲地のため、先に住んでいる住人の方もいませんので、本当に家族と、ハウスメーカーの人だけで行う地鎮祭になるのです。
地元の土地で、親や親せきや近隣住人の方が来てくれるようなものなら話は別かもしれません。
また更に、それなりのお金がかかるとなるとなおのことでした。
我が家の場合は玉串料3万5千円でしたが、私は元々「そのお金で家族旅行に行った方が良い思い出が作れるのでは?」という考え方をする人間です。
こういった思考の人間が文化を衰退させる、と批判を受けそうな気がしますが、一旦その議論は置いておきます。
少なくとも私は、そういった考えをもっていました。
地鎮祭をやることになった理由
地鎮祭なんて要らないのでは?と思っていましたが、結局地鎮祭を行ったのには理由があります。
簡単に言えば「少しでも目立つ行為は避けたかったから」です。
私が購入した場所は新しく開発された分譲地のため、一斉に土地が売られ、そして皆同じような時期に地鎮祭が行われます。
多くの人が地鎮祭を執り行う中、自分の家だけ地鎮祭を行わないのはいきなり変な目立ち方をしそう、そう考えました。
実際のところ、そんなことは気にしなくても良かったのかもしれませんが、一生住む家なので、少しでも悪目立ちするリスクがあれば、可能な限り排除しておきたいと思っていました。
分譲地なので「新参者」という概念はないのですが、それでも流されるままに流されようとは思っていました。
たぶん、新しく家を買おうとしている人は皆ちょっと敏感な思考になっていると思います。
スポンサーリンク地鎮祭をやってみた感想
そんな考えを持った私が地鎮祭をやってみてどうだったかと言うと、結果的には正直「やってよかった」と思っています。
もちろんやらなくても良かったですが、意外とやってよかったというのが本音です。
欲を言えばもっと安く、5千円くらいでできたらいいな、と思うのが本音ですが。笑
思い出にはしっかり残る!
地鎮祭をやってよかったと思う理由としては、「思い出に残るイベントだった」という点が大きいです。
地鎮祭の雰囲気や、「こういったことをやるんだ」という経験は、土地を買って家を買う人でなければできない経験です。
地鎮祭の雰囲気は本当に独特で、一度やったら忘れないと思います。
温泉旅行は今まで何度も行ってきましたし、これからも何度も行くので、宿の一つ一つは忘れてしまうかもしれません。
しかし地鎮祭は一生に一度しか経験することができません。
もちろんそれを理解した上で「地鎮祭はやらなくてもいいんじゃないか?」と思っていたわけですが、実際に体感してみると、悪くないものだと感じました。
年齢を重ねるごとに「新しいこと」が減ってくるので、良い刺激になって良かったと感じました。
地鎮祭の思い出はきっと、一生残り続けることでしょう。
そういう意味ではやってよかったと思います。
「祈る」という行為は良かった
地鎮祭は神様に対して、その土地に住まう人の健康と繁栄を祈念するものですが、普段の生活でなかなか「祈る」という行為をしないので、これも良かったです。
特に私の場合、実家に神棚等もなく、普段から「祈る」ということはしませんでした。
しかしこういうタイミングの時くらい、目を瞑って何かを祈る、ということをすると、どことなく心の平穏が訪れる気がします。
地鎮祭という形じゃなくても祈ることはできますが、このような機会でもなければ、この土地の神様に落ち着いて手を合わせて祈る機会はないと思います。
神様に対して祈るだけでなく、自分自身が家族を幸せにしていくことを決心する場としても良いです。
心を落ち着かせて、人生の節目に何かを決心するという行為は、とても素敵なものだと思います。
お金的には決して安いとは言えない
しかし地鎮祭には玉串料がかかります。
我が家は3万5千円でしたが、地域によって3万~5万円くらいが相場と聞いています。
決して安い金額ではありません。
しかしもしも私が「地鎮祭に3万5千円の価値があったか?」と聞かれたら、「その価値はあった」と答えると思います。
地鎮祭は思い出に残りましたし、「祈る」という行為はどこか心に安らぎをもたらしてくれるものだと感じました。
ですが、もう少し安かったらなあ、とは思います。
「こういうのは気持ちだから、値段でどうこう言うものではない」というのはその通りなのでしょうけど、現実的にはそんな思考になってしまいます。
やらなくても良かったが、やって良かったとは感じている
さて、では結局地鎮祭はやったほうが良いのか、やらなくて良いのか。
答えは「人それぞれ」なのは当たり前ですが、自分としてはどうだったのか。
もっと言い方を変えると、地鎮祭をやるべきか悩んでいた昔の自分に対してどう言葉をかけるか。
もし私が過去に戻って自分に声をかけるとするならば、「悩むくらいならとりあえず地鎮祭はやっといた方がいい。もやもやが残るくらいなら、やって『意外といいものだ』と感じるくらいでちょうどいい」と伝えると思います。
やらなくても問題はないと思いますが、地鎮祭をやってみて「これならやらなきゃ良かった」と後悔することはまずないと思います。
もし地鎮祭をやるかやらないかで悩んでいる人がいたら、少なくとも私は全く後悔していないことをお伝えしておきます。
スポンサーリンク温泉旅行とどっちが良いか?は本当に難しい
地鎮祭等の儀式は、「お金で勘定するものではない、そんな不敬なことをするくらいならやらない方が良い」というのは正しいあり方かもしれません。
しかし現実は生きていくのに必死で、毎日少しずつ節約して生活しているのです。
「思い出に残る」ということで考えるなら、家族で温泉旅行に行った方が思い出に残るのではないでしょうか?
これは非常に難しいです。
確かにこのお金があれば別の思い出が作れるかもしれません。
地鎮祭はこのタイミングで、更に土地から買った人にしかできないイベントですが、だからと言って「家族旅行よりも良い思い出になる」かどうかは分かりません。
この辺りは本当に個人の判断です。
地鎮祭は一生心に残ることだと思うと、今では私は地鎮祭をやって良かったと思っていますが、最近はやらないという人も多いので、違和感はないと思います。
もちろん土地柄によっては「やらないという選択肢はない」という人もいるかもしれませんが、そうなったら寧ろ、悩む必要もないので良かったのではないでしょうか。
実際いざ地鎮祭をやってみると、結構良いものだと感じるはずです。
感想、まとめ。何だかんだで地鎮祭は良いものだった
地鎮祭をやるべきかどうか、は、最終的には人によるので何とも言えません。
私は自分自身のことを、デジタル社会の、ザ・現代人だと思っていました。
そのため、地鎮祭なんてやらなくても、その分のお金で家族旅行に行った方がいい、と考えていました。
しかしいざ実際に地鎮祭をやってみると、これはこれで良かったと思っています。
地鎮祭をやったという経験も良かったと思いますし、なあなあで工事が始まるのではなく、これからの家族の幸せを神様に誓う、祈る、という行為ができたのも良かったと思っています。
地鎮祭は私にとって、大人になったからと言ってあまり食わず嫌いせずに、色々な行事を経験していくべきだと考えさせられる体験でした。