前回、土地代が高くて上物が小さくなるので、土地が貰えればいいのに、という記事を書きました。
その時、土地だけでなく援助金についても同じことが言えるのではないかと感じました。
リンク : 注文住宅で土地を貰えていたら、家が大きくなるのに…という話
私の知り合いは、東京近郊で地価の高いエリアでありながら、延べ床面積60坪を超える広大な家に住んでいます。
収入の差もありますが、何よりも大きいのは、土地をご両親からもらったことです。
他にも、数千万円の援助を貰って土地代をキャッシュで払ってしまった人もいます。
当然、親から援助をもらえた人の家は、同じ出費でも立派な家になります。
我が家は土地もお金も、支援はゼロ
私は東京の近郊で家を建てますが、夫婦共、実家は田舎で上京してきています。
そのため、近くに実家があるわけではないため、土地は自分たちで探さなければいけません。
また、両親は貧乏ではないものの、援助金を出せるほどの余裕はなく、我が家は土地・お金共にすべて自力で何とかしなければいけませんでした。
しかし別に特に抵抗はなく、そういうものだと思っていました。
田舎では、両親から土地をもらうのが当たり前のところも多いようですが、都会では自分たちで土地を探す、という人の方が多いような気がします。
私の場合も友人や知人の多くは、自分たちで土地を探して、一生の土地を決めていました。
援助金を貰えるのが羨ましいのは本音だが、妬むことではない
自分たちの手が届かないような立派な家の話を聞くと、凄いな、羨ましいな、と思うのは当然です。
そもそも収入が多い人もいれば、ご両親の援助によって自少ないお金で立派な家を建てる人もいます。
「羨ましい」と思う感情は自然なもので、否定すべきではありませんが、「ずるい」だとか「妬ましい」という感情は抱くべきではないと考えています。
スポンサーリンク援助には、ご両親、ご先祖様の努力が繋がれている
自分が受け継ぐ土地は、ご両親、もしくはそのご先祖様から代々受け継がれていた土地です。
土地は資産になりますので、たとえば罪を犯して多額の賠償金を負ったり、ギャンブルに嵌って多額の借金を背負ってしまったりした場合は、差し押さえの対象になります。
ご先祖様がその土地を開拓してから、誰一人道を外れることなく、まじめに働き、税金を納めてきたからこそ、今の土地があるのです。
これは誇っていいことだと思います。
また、ご両親からの援助金だって、リスクを背負って成功した実業家もいれば、努力して一流大学に進学してきた人もいるかもしれません。
祖父母が教育に力を入れ、一生懸命育て、そしてご両親が努力して勉強し、欲しいものを我慢してお金を貯めたからこそ、そのお金があるのです。
どんな形であれば、贅沢しようと思えばいくらでも贅沢できる「お金」というものを、自分のために残しておいてくれたのは、ご両親やご先祖様を誇っていいことだと思います。
感謝こそすれ、ご両親やご先祖様を恨めますか?
住宅購入の援助金に対して負の感情を抱くのであれば、それは援助金を受けた人ではなく、ご両親やご先祖様に対して抱くべきものです。
しかし、何代にも渡って命を繋ぎ、自分を育てあげてくれたことに感謝こそすれ、恨むことなどできないはずです。
土地をたくさん持つご先祖様は立派に見えるかもしれませんが、「立派」という意味では、自分のご先祖様だって負けていません。
ここまで脈々と命を繋いできたことは、立派以外の何者でもありません。
援助はなかったが、育ててもらったから今の自分がある
私の場合も、土地やお金の援助はなかったので、頑張って貯めた500万円を頭金にしてローンを組みました。
もしも援助金があったら・・・と思うこともありますが、それはキリがない話だと思います。
500万円の援助金を受けた人は、「もしあの人の家庭のように、1,000万円の援助金だったら・・・」と思うのではないでしょうか。
援助金があろうがなかろうが、いくらだろうが、それがどれだけ羨ましくても他人は他人です。
今の自分の仕事や稼ぎがあるのは、親が学校や塾に行かせてくれ、育ててくれたからであり、そして自分が努力して勉強し、進学し、就職面接を受けたからです。
そしてこれからの仕事や生活は、まだ誰にも分かりません。
ちょっとした節約や努力の積み重ねで、意外と大きく変わってくるのです。
あるのは両親からもらったこの体と頭と、過去の自分が行ってきた努力の積み重ねです。
これからの自分の努力は誰にも分かりませんし、誰にも邪魔されません。
スポンサーリンクまとめ。援助を受けられる人は、誇るべきことだと思う。
私は住宅購入にあたって全く援助を受けませんでしたが、正直、援助を受けられるのは純粋に羨ましく思います。
しかしそれは「いいな」という単純な感情であって、「楽しやがって」とか、そういった負の感情はありません。
私は先祖が武士だったのか、農民だったのかも知りませんが、感謝こそすれ、不満はありません。
生まれつき職業や人生が決められていた時代と異なり、今は自由に選択できる機会がたくさんあります。
昔の時代ほど、出自による不平等はありません。
だからこそ、援助金をたくさん出せるようなご両親はこれまでたくさんの努力をしてきたと思うので、誇っていいことだと思うのです。
たとえ自分に援助金がなかったとしても、そんなものは長い人生の中で微々たるもので、今後の努力次第でどうとでもなるものだと思っています。